読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

追憶

追憶(ついおく)とは  . 過ぎた時間に思いをはせること  らしい。

過ぎた過去に思いを馳せると記憶は更新され 新しい感情 思考の痕跡が追記されると思う。記憶は不確かで ああしとけばよかったなあ とか ああすれば どうなっていた とか 都合よく考えがちだが 時を経て 経験を積み 別人のように 思考が変化しているから 大人になったということだけど わかること 理解 判断できることがけっこうある。今だからわかること 今だから気づけること  

助言されても たぶん気づかなかっただろう。

言われた事を理解しても それを心底理解できないから 似たような行動になっていた。どの時点でも リカバリーは可能だった。

そして今でも 将来から見たら遅すぎるという思いが今あっても リカバリーが可能だったという状態なんだろうと 過去の経験から考えそう思える。

もう遅いよ 今更というのは たぶん肉体的な 外観的な 年齢制限とか そういう物理的な障害が無い限り関係ないと思う。

言い訳しているのは 自分のやりたくない弱い気持ちだけ

 

もう遅い 仕方ない やっても というのは こころが弱いということで

意思が弱いんだと 今なら思える。でもー といつも本を読みながら思ってはいたが。

 

当時は幼稚で判断基準もなく ただ おろおろ 目の前をクリアすることで精一杯

それは 何歳になっても新しいハードルや壁がでてくるからそうなるんだと思う。

自分が描いていた未来的な予想 想定は ことごとく外れる。

自分の行動は多少はなんとかなっても 第三者がからむと想定できない。

だから何が起きるかわからない。 

 

 

未来に 思いをはせると 不安と期待の入り混じった微妙な気持ちになるのは 新しいチャレンジをしていく限り同じ。

 

仕事は 人生の一部にしかすぎなかったのに主として 生きてきたけど 

その他にもっとチャレンジしたほうがいいんだろうな とここ最近よく思う。

60歳65歳70歳までまだまだ時間はある。だけれどもいつ病気で時間があと1年や半年もないということにもなりかねないとも思う。

そういうケースが何歳でも起こりえるものだとネットでわかるようになり 

少し計画を修正している昨今 

いざとなれば 病気でも 入院でも金しだいは事実 金で救われる命もある。

保険だけではまかなえないケースもあるし

その思考と 目の前の時間を金に変えていくことの慎重さが今あったりする。

 

 ちなみに60歳といっても 果たして遅すぎるかとも思ったりする、

知人でそれなりの能力はあるのだが 現役で仕事をやっている。

見かけも 多くの人が思う60ではない。

 

だから 年齢って指標なんだとも思う。

 

そうやって 今日一日中雨だったけどうだうだ考えながら 仕事していた。

広告を非表示にする