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プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

記憶

音楽なんて聴いてないで 勉強しろ

なんていわれても

音楽は大事だと思う。

 

加齢を重ねても その音楽を聴けばなぜかよくわからないが 

当時の切ない思いや感情、風景を まざまざ と思い出させる。

 

よほど  どー田舎でない限り

生活圏の風景は 時間とともに変化し 記憶をとどめない。

懐かしいあの店が 大人にいけば全然しょぼかったという誤認もあるし

町そのものがなくなったり 通いつめた店がなくなっていたり

一番つらいのは  お店がシャッターになっていることかな

そんな風景に担保されるよりも音楽は永遠だ。

 

たぶんビジュアル的な写真程度の記録であれば 音楽のほうが記憶が長持ちする。

(誰が聴くの?みたいなLPなどが今でも大事にされるのはそういう面もあると

思う。だから その年に流行った曲は押さえ 軽く聴いておいて無駄はない都さえ思う 同世代の共通体験だからね。

何歳に リズム天国を聴いていたとか(笑)大事かも)

 

但し、どうしても 記憶というのは 引き出すたびにその引き出した時の記録が脳内の記憶に残り 意味がどんどん書き換えられていく。映像は残酷でありのままメディアに記録し永遠にループする。自分の心のフィルターのない映像。

 

音楽は 感情を脳内に記録する。

改変した思い出は淡くほろ苦く 心地よいフィルターがいつまでも脳内ループする。

 それは今の自分にとり都合のいい記憶として 再編され 再ループする。

記憶はさらに美化されていく。

 

いいかわるいかは横に置いて

いろいろな思い記憶が ある時ひとつの道として 理解でき、

人生の航路らしきものを認識できた時 自分が何者か ちょっとわかるような気がする。  万感の思いというのは誰もがいだくのはそのあたり 

ここまできたんだ。ここまで歩んできたんだ。

ああ こういう旅だったんだ って知る。

 

 

記憶はあやふやで でもあやふやだからこそ 人は救われる。

なぜなら よくない思い出も いい思い出も 全てそこに意味付けができ 

だからこそ 今 こうしていられるんだ こうできたんだと思えるからなんだよね。

 

 

記憶は思い出は 所詮一過性のものだけど。そういうことを 振り返り始める年代に突入するのは  みんないくつくらいなんだろう。

 

22歳ぐらいで世の中 をわかったつもりになり、回顧しはじめた記憶があるけど

なんにもわかっちゃいなかったな。 

でも そういう 22歳の記憶でさえ カラフルに 鮮やかに  詳細に 目前に描き 思い出すことができるのも 当時のよく聴いた音源があるからなんだよね。

 

音楽は再現性があり、同期するように 記憶は再現され 自分の中をループする。

 

当時の仲間や友達 その他 対象者は 誰も ここにはいないし 

この世にもいない人も年々増えていくが もしかしたら 都合のよい記憶がループして

いる状態が一番いいのかもしれない。

だからこそ 二度と会うこともないだろうし 会っても深く交わることはないだろう。

自分にはそういう生き方しかできなかったけれども

だからといって孤独とは思えないんだよね。

 

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