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プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

根拠ない自信を持て という誤り

その昔 自信がないころ よく頭をかけめぐっていた 根拠ない自信を持て

しかし これは誤りだ 根拠無き という 前提設定時点で その土台はぐらぐらで

 自信を持ちたくてもやっぱ 根拠ないからムリ  と 自分で 答えを見つけてしまう

はったり うそだ。

 

正しくは 論語 「仁遠からんや。我、仁を欲すれば、斯に仁至る。」

自信が欲しければ 自信は既にある。

自信があると信じること 思うこと 知ること このあたりではなかろうかと思える。

自信があることを信じれない自分 知らない自分 が 経験値の浅い時期

幸いにも スポーツ勉強で成功体験のある人は それを知ることができる。

それに 経験を重ねても一抹の大丈夫か?という自信の向こう側の何かは常に存在する。 自信をもてる状況にならなければどうするか という対処方法の検討や 

不安だ。年齢を重ねても同じ。経験豊富でも同じ 自信があるか?ととわれたら 厳密には 微妙なアルファは常にある と誰もが考えると思う。

若くて 自信がないのはわかるが、若さは自信の根拠となる 時間と体力と無知であるがゆえの無謀さがある。

 

 

あえて背伸びすることもなく ありがままの自分を認めそこからスタートすればよかろうと思う。

競争社会は事実だが 一番戦かわなければならない相手は 自分を否定する自分だと思う。

 

根拠のない自信 というが     強く望めば その希望が 根拠になる。

それが 仁欲すればというくだりとかぶる。

ひたすら望むこと ひたすら願うこと そしてひたすら向かうこと

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