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プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

1年

スポーツ選手のように あるいは 年頃の女性のように 若い時だけしかないものを活用する立場以外の話

 

1,2年 ぼーに振っても それは 取り返せる。

もしかしたら その数年単位の無駄が 後々有効になる場合さえある。

 

その無駄があったからこそ 得られた知見などがあり、勿論そんなの ちょっとした本に書いている程 のことなんだけど  それは 過去にも何回も書いていることだが

そこで わかるわかる という いいね! がつかないということから 認識の違いがわかる。

経験をしていないから アンダーバー引くことなく 素通りしてしまう。

そういう簡単なことが 心底痛いほどわかることで はじめて自分のものになるのだが

年をとらないとわからない部分。

たぶん わかちあえないのだろう。

読者 いいね さえ なかなか つけない相手に懸命に時間咲いて説明する必要性は感じないし 僕の人生で正しいことをおしつける やぶへびも 違うと思う。

都合のいいように文章を読む 程度の関係性 に期待はできない。

期待するほうがおかしい。そういうものだと認識しなければ ストレス

これが ぶろぐというメディアの限界だなあ と思う。

 限界というと 機能不足のような表現にも聞こえるが そういう制限された枠組みで そういうデザインだという意味合い

 

 

 無駄と思えることを経験することも必要だとも自分なら思う。

それが 他人にとってどうかはわからない。

 

 

極貧を経験していない人間に 貧乏はわからないし 1円の重要性も理解できない。

そういう人は年収が 数千万あっても足りないと感じる。

ざるだ

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