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プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

表舞台

10代20代の頃は

表舞台に上がりたくて仕方なかった。

それがすべてだった。

どんな場所でもいいから よい意味で この世に 名前と顔を売りたかった。

脚光を浴びたかった。

若いとき 多くの人が思うかもしれないが 自分はその気持ちが 限りなく強かった。

スポーツをしていた時代があり 選民意識が強い面があった。所詮 選ばれる立場なのに そういうことにさえ気づけない程おろかだった。

監督その他の好みや気分や主観で右左する立場程 不利なものはない。

(優れているから だけでは なんともできない部分がある 嫌われたら 優れた芽さえ摘まれる。芽は肥料や水を与えないと育たない。) 

 

20代を過ぎ、

それがいつしか できない焦りと落胆になり、

今となっては そうしたいと思わない。

教育を受けていない 。 無知 ということはそういう心理の推移となる。

他人視線を意識しすぎると 自分を見失う。 

 

 その年代にすべきことがわからない。親や周囲がいっても聞かないというのは 後々したことに対して後悔することになる。

 

他人の視線がどう変わろうと 自分に変化は基本ない。

あるのは他人の視線を意識する自分の心理であり

他人の評価がどうでもよければ 変化はほぼないに近い。

 

ほどほどに生活ができ、将来を描き 前に進んでいるのであれば それ以上は 本当は必要ない。

 

だけれども 世の中のメディア各種は 誰かを祭り上げたりすることで機能する面があるので なにかと騒ぎ立てる。

祭りあげられた人は 実は 時代の 生贄 にしかすぎないというのに 

勿論それにより手にいれることができるものも少なくないのだが それで手に入れられなくなるものもある。このあたりは 人それぞれの価値観なのでうまく書けないが

道はそれだけじゃないんだよ と 書いておく

 

そういうことが だんだんとわかってくる時には 大事な自分の時間を失っている。

 

 今 清水富美加 が あの立場で 引退するわけだが 若い時は 一時 騒がれるきれいさのうちに何ができるのか という観点からいくと 非常に賢明だと思う。

両立できないの という意見さえあるが、大事なのは本人の価値観であり

第三者の意見ではない。こういう場合 近い周囲は損得で物事をいう。

世間はその時の気分でいう。

正しかったかどうかは 誰ももわからない。

 

また、げいのーじんレベルでは 他人まかせの人気で人生を左右されてしまう。一発不祥事を起こせばというリスクもでかい時代になってきたので 

もし 親戚なら 賢明でしょ というと思う

 

但し 人生の舵を切る時は 周囲に迷惑をかけると 後々 しっぺがえしをくらう  

 

 

 

 

 

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