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プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

ドレイ

 24歳くらいの時 お金を忌み嫌った。

 

それからお金を楽に得たり苦労したりいろいろあったけど(どちらかというと苦労した時の記憶が残る)よくよく考えると 楽して稼いだ時間が長い。

あのお金はどこに消えたのか?

 

最近 相当節約するよーになり 自分なりの回答が用意できた。

不思議なもので 今となっては 散々買い物をしていた ですかうんとストアに行っても 購買衝動が無くなった。

どんだけ無駄遣いしていたんだ。

 

 

お金というのは 一つの市場ルールの目安 

(いつの間にか実態経済よりも金融経済の部分が拡大し本来の意味とずれてきているが、かろうじてルールは保たれている。)

 

ドレイといえば そのドレイなのかもしれないが

それは意識のもちようで お金の為なら なんでもするのはドレイで

お金 というツールを 交換ツールとしてうまく使えば ドレイにもならない。

お金のやりとりに汚ければ 守銭奴ともいわれる。

 

たかがツールのやりとりなんだから どうせやるなら 気持ちよく 楽しく

やりとりしようと という 大人の品格は持ち合わせたい。

 

だから 金があるから といってむやみにお礼したり あげるのは 札束で顔をたたく行為になる。映画とかでよくでてくるよね。

 

お金は汚いものでもなんでもない。

その人が持つ価値観 や 認識しだいで 便利なツールになるし 人生を楽しく有意義に使う道具ともいえる。

 

それを お金を汚いものなんだよ お金だけじゃないんだよ と 話をすりかえる人はいるけど それこそ 宗教 洗脳思想だ。

 

お金だけじゃないのは事実だけど お金だけじゃないはそれだけの話 ツールにすぎないよ という意味を だから身につけてもしかたないよ 捨てなさい 的には結びつかないのだけど よくない意図をもつものは その 独立した話を根拠として 別の 自分たちにとって都合のいい話にすりかえる。

 

お金がない世界とか 綺麗ごとをいう人をたまにみかけるが そういうことは かわりのアイディアをもって いうべきだと思う。

だいたいは 結局は一緒 という話がほとんど 

 

ルールとして 定義され 前提として 用意されたツールを否定するならそれにかわるものがなければ その世界は壊れる。

そんな世界だれも望んでいないが お金を否定する人は 後をたたない。 

 

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