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プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

建前と本音の二段コミニケ-ション

仕事後 つまり アフターの上司との付き合いをしてまで・・・・

旧時代であれば 建前で つきあわざるえなかったが

もうそういうのは通用しない的なことがとある本に書かれていた。

引用するような内容ではないが

 

 

建前と本音の二段コミニケ-ションは もう通用しない。

仕事をしている方ならわかると思いますが たぶん間違いです。

 こういうことが 本 ネットでは当たり前のように書かれていますが そんなもんです。その人にとり正解なのですから

 

ケースバイケースであり ただ 建前と本音というのは 昔から 見分けられないように人々は努力してきましたし 今でも同じでしょう。

だからこそ 表裏があるようにみせるのは 得策ではない  その話した相手みせた相手に こいつは そういうやつなんだとばれるから

それをすることで 一貫性がなくなる。

 

世の中 本音だけみせて生きると ぎすぎすしますから 

飲みにいくか?と誘われたら 一度は行くべきかとおもうですよね。

自分が誘う側なら 断れたら 線をひくし その後輩が その後 ミスをしようが

知らぬふりするからです。助けない。

 

それで 自分も経験ありますが、自分ひとりで生きていけますからと うそぶく

そう思う。かんけーないから あんたには って

 

ただねえ その 断りたいいやそーな無力な先輩が 実は 後々 わが身を助けたり それこそ人生の恩人になるような結果になったりする経験をすると

考え方は変えざるえませんでした。(そんな人だったの?じゃけにしていたのに申し訳ない ありがと です。)

 

自分の力量でしか人を知ることはできませんから 

その人の力も見抜くことはできないし もちろん 当人は話さないから

その後どういう関係になるかわからないのですよね。これはどんな人でもありえる。 

 

建前と本音の二段コミニケ-ションが実はあるとみせてはいけないと思うし

どれだけ 建前の表現を 本音に近づけるか という感じかなあと

建前なんだけど 本音と照らし合わせても うそでもないみたいな

 

世の中がある程度円滑にまわるのは みんないわないだけですよ。

いっちゃおしまいのようなやりとりしても 体力と時間 使うだけですから 

 

 

 

 追記です。

日本人で米国の大学教授をされている方の本に書かれていたことですが

以前 米国人は はっきり物事をいうようなふいんきだったそうです。

が 最近は ちょっと もごもご 的な あいまいな 言葉を使いたがるそうです。

時代は変化しきたと

 

これには心当たりがありますが 相手の話しはじめて 一言話したことで かっ!となり はあ?といいたくなるのをがまんして聞くと 文脈が連なって ああそういう意味か  余計なことをいわなくてよかった ということがよくあります。

 

本音を伝えるのにも その本音をそれとなしにもごもご とごまかすような

なんとでもとらえることができる言葉にすれば お互い 余計なストレスを感じず やりすごすことができます。

 

そういう空気を読ませ読む関係は 次の機会を無くすことはありません。

今度はこちらから誘えばいいわけですから

 

 

 

 

 

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