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プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

忘年会に呼ばれなくなった

忘年会に参加したことは 既に●●年近くない。

そういう人生だった のかな とも思うが

酒も飲まなくなって 行きたいとも思わなくなってから数年たつ。

飲まずに忘年会で酔っ払いの相手を延々とするのはつらい。

 

 

最近 会社では 20代くらいの子が アフターのつきあいを嫌がるという 

自分の中だけで考えたら大正解だが  

年上からの目線をいうと

あえて深く絡むこともないから なにかあって時でも 勝手にシネバと 他人事 距離感は普通より遠い。新しく出会う人よりも遠いかも

こいつは どーせこういうやつだから

 

自分だけで生きていけるさ と 強がっても 究極 極まれば その他人の助けがすくってくれる。それまでの経験が浅いから ほんとのピンチがどれ程か わからない。

切り抜けられる のと 問題ない では大きく違うが 切り抜けられたらよし レベル

究極のレベルが低すぎるから経験も浅い。(限界が低いのでその前で回避して 経験できるレベルがよーちえんレベル)

 

だからこそ 何かあった時の為に つきあいとか 節目のお礼ごと 挨拶は しておいたほうがいい。 助けてもらおうと思ってなにかするよりも おふだを張る感覚に近い。

 

 

 

以前 年末すっごく忙しい業界に長いこといました。

忘年会に行くくらいなら仕事したほうがいいくらい 仕事に溢れていた。

 

たかが いくらかのお金の為にやっきになることもなかったと 今なら思えるのですが・・・・

 

当時わかるわけもないし 読者の多くもわかるわけがない。

なぜなら 今ここで 1万 10万 燃やせるか というと燃やせない ためらいがででるからです。

 

理屈では わかっていたが それが最近 身にしみてよくわかる。

10万あれば 何かできる それは事実でも それと 燃やせないは違います。

自分は今年 あることがあって それを深く実感しました。

 

意味のないと 想定することが問題だった。

人は あまり 想定してはいけない 計算してはいけない。 

計画して 想定して準備するのはいいが 想定してやらないのは間違いだ。

食していないものがなぜわかる?

 

脱線しました。

 

 

いいたいのは よき仲間との忘年会とか新年会の思い出というか経験を年数分つくってもよかったのではないか ということです。

どうでもいい 集まりに参加すれば 人生は別の方向に開けていたのではないかとも今らなら思います。

 

家族とかいろいろ

ほぼないですから

今では 酒も飲まなくなったこともあり 参加したいも無くなって・・・ということなんです。

 

誰も 集めない 誰にも呼ばれない まあ そういう現状です。

それがどうしたという話ですが、

楽しく 快適に生きようとすれば 人の間に入っていくほうが いい。

 

所詮 一人の人間の持ち時間 行動範囲 など微々たるもので 

いろいろな人と 経験など共有しあうべき これが理由です。

 

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