読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

黒歴史は語らない

黒歴史は 誰にでもある。

ある程度の年齢になると 誰でも 叩けばほこり がでる。  らしぃ

 

らしぃというのは いろんな人に話をそれとなく聞いた結果だ。

それが なんとなくわかる。

 

俺はね あたしはね・・・ と カミングアウトしたつもりが

実は チッ” その程度で ガタガタいってんじゃねー4 

となるケースは 多いと思う。

 

話されたの方が 熾烈で悲惨な経験をしている事がざらだったりする。

 

そういう時代だ。

 

 

 

主観により ダメージの受け取り方は違う。

だからこそ 多少のことではびくつかない程のダメージは訓練ともなるので

それを嘆くよりも 来るべき何かの対策になったと考えてもいい。

なぜなら ほとんどの人が 仲間や家族を 予想もしない結末で奪われる事があるからだ。

若い時のダメージは まわりの援助もありはねのけることはたやすいが、年老いてからの慣れていないダメージはきつい。

 

 

 

黒歴史をカミンングアウトすべきかどうか

筆者は  おれね(笑) 

1、あえて公開する。

2、それをひきずりながらも話さない。

3、なかった事にする。

 (思い出さないし 覚えてないようにするし 人にも話さない。)

 

このうちの3を選択することにした。

最初は 1だった。自分の素性を明かせば仲良くなれると思っていたが違った。

人とは違う人生を歩んでいるから余計そうだ。その上のトラブルや失敗となると共感を呼ぶ相手はかなり限られる。

地域を移動しただけでも少数派となるわけだから当然といえば当然 

それで 経験をしたり 時が経つにつれ 2となり やっぱり3かな  となった。

 

 

3の理由は 

その出来事があまりに時間が経過し (時代背景もろもろ変化しすぎ) 話しても共感を得られない。

共感を得ようとして 受け手が違和感を感じるリスクがあまりに大きすぎる。

その結果自己満足にしかならないとすれば いわないほうがまし。

いったところで 同じ体験をしていなければ共感をされているように思えても

現実は違う。うわっつらだけで 実際に理解されなければよけいに虚無感を感じる。

理解されるわけがない。

その上 机上で理解されたところで お前なんかに何がわかる?と別の感情も働く。

そこには埋めることができない溝がある。

 

そして、昔の話を引き合いにだしても だから何?というケースが多々ある。

実はおれ こうなんだよ といわれることがあったが 相手の辛いレベルが知れていた場合 同時にそういいう感情はすぐ浮かんだ。

 

最後、 それを思い出して さらに辛い記憶を編集して その辛さを強固なものにしてしまう。

 

このあたり かな

 

 

自分の人生なんて自分にしか理解できないものです。

ひたすら孤独と立ち向かう作業です。

その中で自分の

黒歴史を 認めることができた時(それがあって今私はここにいるという認識)

それは 自分のキャリアとなり 底力になる。

マイナスはプラス  

鈍感なら 痛みも気づかないし それが起こったことすら その重大性すら気づかない。

重苦しい 苦々しい思いは 思考の機会を与え 自らを磨くことになる。

 

 

改めて いいますが 筆者の経験は おそらく 笑止に値するので 詳細を語ることはありませんのであしからず

 

 

広告を非表示にする