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プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

豊かさの

豊かさ というのは お金という尺度では計測できない。

幸せも 同様

 

お金を手にいれたら 無尽だから 豊かさや金も手に入りそうに思えたりする時期やそういう人もいるけれども それは 認識がその程度だということで 無知に過ぎない。

お金で得られる幸せ 豊かさなど 含み笑いレベル

商業主義のメディアが イコールに見せようとするが 金で買えるものなど たいしたことはない。

大事なのは金を使って何をするかなんだけど 金を手に入れてからそれを考えても メガネごしにみつけることは容易ではない。

 

生活が困窮していようが 生活がなんとか維持できれば それはそれで 豊かとか幸せと感じることができれば 充分だったりするんだけど

 

多くの人は

金が無いとかもっと・・・・とか そういうことで その悩みが解消されると勘違いしたりする。

 

都市にいるからいってもんじゃないし これだけ通信環境と 運送等のインフラが 整ってきた ここ 今 もう一度 自分の求める豊かさは何かを考え

また 豊かさや 幸せとやらを感じることができる感受性をもう一度 見につける

訓練・?練習?をすべきなんだと思う。

 

他人を否定するつもりはない。金がなければはじまらないのは事実だし、お金がないとはじまらないような人も大勢知っている。それはその人達の価値観。

 

自分は お金をおっかけて大事な時間を失うようなことだけはもうしたくないと思っているし 他人視線で何か考えたり 行動するのはやめようと思う。

そもそも 違う世界観の人間になぜ好かれようとしたのか なぜ評価してもらおうとおもったのか 嫌われていないか なぜびくびくしていたのか 

世間でいう失敗することをなぜおそれたのか

そういうことを 午後考えていた。

他人から どうこうというものさしさえ無くせば 以前より 自分が自由になったと思えるよ

信念

自分の世界 自分の理想 夢を形作る為には 信念が必要だ。

他人に比べて 優れているとか 一位になるとかは過程にしかすぎない。

目指す過程で そこを通過した時 結果としてもろもろの 

それらの他人評価がついてくるだけ。

 

とあるスポーツで 検定というものがあった。

何級とか 何段とか色々世の中にはあるけど いけたかなと思ったけど落ちた。

その時 自分の中で なぜ スポーツなのに評価されないといけないのか と思い、そこから先目指すのを辞めた。

ビジネスの道具じゃないかこれ。

否定はしないが 自分はごめんだ。

 

みんなが信じていた世界 信じこまされていた世界は 時代やその他の条件で一瞬で消え去る。

10年5年昔に存在していた世界が全く消滅しているを見ると夢を見ていたのではないかとさえ思うが、消滅後のその世界でどうだった おれすごかったんだぞということに何の意味があるのか

 

だからこそ 流れ行く 今だけを注視し 過去は 学習材料として 反芻するだけで いいのではないかと思う。

 

話は最初にもどすが 自分信念というか夢目標さえ変わらなければ他は関係ないのではないかと思う。

 

勿論 その信念さえ 変化していく いい意味でバージョンアップしながらの場合もあるし 萎んでいく場合もあるし

 

だからこそ 自分の信じたいもの 夢などは 

書きだして 毎日見るようにして 忘れないようにしないと 

ついつい 目の前の些細なハードル 他人の意見 自分以外の世界に気をとらえて

忘れてしまうんだよね。

承認欲求

人により価値観 主観 基準その他もろもろ かなり違う 人数分 それがある。

その自分とは違う相手に対して 承認してもらう。 受け入れてもらう というのを求めるのは 下手すると 認めてもらえるような行動 発言をするということになってしまうし そういう人も多いのではないだろうか

 

KY というのもそう 空気を読むのは 空気にあわせること。

 

さて そこまで自分の価値観や行動 要求を押し曲げてまで 相手にあわせ承認してもらう必要があるのかあ? と 思ったりする;。

 

他人目線なんてどうでもいいのではないか 

最低限しなければいけない仕事やコミュニテイで 一定の和さえ保てば 友人 知人にまで それをする必要があるのか と思う。

 

結果 独りぼっちになっても  仮面をかぶって 生きるよりも 全然ましで

独りぼっちというのはこの世界で何人かいる同志にまだめぐりあえていないだけのことで 妥協せず 世界で数人しかいないかもしれない同志を探し続けるべきだと思ったりする。

 

 

人間性

人は学習して 変化していく。

人は変わらないというが 変化できない人もいるが 変化する人もいる。

固定化された環境にいる人は変化していきづらいのは事実だが 加齢しても 状況が刻々と変化し、出会う相手 出来事 など から学び続ければ 根本的なものさえ変化する。

指針が変化すれば全てがかわるでしょ。

そういうことがあるわけ。

でも人は 言葉にとらわれ 

ああいった こういった。

行為にとらわれ

あんなことした された 

といい 対象を固定化しようとする。

 

そのほうが楽だし 感情は残るからね。

 

でもこれだけ 情報が行きかい 言葉が流れていく時代 

それも SNS ツイッターが 普通となった時代

そろそろ  人は時間と ともに 考え方 その他もろもろ 変化することが周知されてもいいんじゃないかと思う。

価値観は年代で大きく変化するし

時代で信じていた価値観は根底から崩れ去るし

 

ミスは誰でもある うっかり失言することもある。

そのミスや過ちをいつまでもうだうだは 時間の無駄なんだから ロスしたくなけれ忘れ去るべきかなあ 

寒波

13日 北は吹雪 東と西は桜ふぶき らしい。

今年の天気は 去年とは違う。

今って もうすぐ5月だよ。なのに 夜は寒いし なんだろ この天気と思う。

 

そうやって 5月 6月 7月 8月 9月 で 年末で 今年も一年か・・

 

 

ロングテールは待ち

ネットを長年している人ならわかると思うけど

ロングテールの対象と出会うことができ、人生が変化するには どうしてもタイムラグがある。

それが人であり 物であったり 色々あると思うけど 見込みの時間と現実にはずれがある。

それを待ちきれるかどうか 

 

自分の主観 思い込みをはずさなければならないのはこういう時だったりする。

主観に従えば世界は なかなか変化しないし 今よりもぐっとよくなることなどありえない。

自らの価値観をあえていうあえて信じ込むことのデメリットはそのあたりにあるのじゃないかなとさえ思う。価値観を信じ込む事は 固定化の要因となるから

 

今は こう思っているが 正しいとは限らない 程度にとどめておかなければ

時代の変化があまりにはやすぎその価値観が時代にあわなくなってきたりすることもざらだし。

人生は有限で いつ幕をとじるかわからないが 

結果ばかり求めて行き急ぐのは 間違いだと最近思う。

なぜなら その結果の具現化が はたして正解ともいえないから。

夢 敗れることが正解への道筋になったり 人生はわからない。

 

但し、強固に自分の価値観 信条 信念を かえなければ 夢の実現はその人にとり正解であり続ける それが果たして 本人の利益なのかどうかは わからないけど

 

まっ 本人がよければ 全部正解なんだし まあいっか

 

 

 

価値観

人って こうだよね と言われたところで その価値観は 君の主観だろ とつい思う。そんな簡単に定義できたら苦労しないし その普通とやらの裏がそれなりのボリュームである。

ひとくくりでいえるほど単純ではないし それを受け入れることができた時代は終焉した。

そうやって全体主義的な方向で 定義できた時代は あったが 過去の話だ。

 

定義して思考をコントロールしようとしているにしても まず反発があるし

だから 自分は こう思うんだけど 程度にしとけよとついつい その発言の反応はこれ

 

SNS発言が浮上しない時代はここまで人がいろいろな思考をしていることがみえてこなかったし 伝わらなかったんだよなあ

と よく思う。

 

吐いた言葉は戻らないのにみな軽々しく発言するけど

流してくれる場合とそうでない場合があるよなあと たまに思う。

 

だから 誰かわかるアカウントだと黙ってしまう。

誰かなかなかわかりそうに無い場合は こうやって 書くけど

誰彼好かれることとは 遠くなる一方 

 

価値観をあえていうということは 好かれる事ではないなあ と 思う