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プロセスの途中

とりあえず 懸命に雑談してます。

4月の雨

4月でこれほど雨が降るのは何年ぶりだろうか

記憶に無い人も多いのではないかとさえ思う。

 

桜が咲き ちらないかやきもきして 雨が降り ああ だめかあ って 記憶はあるが

何回も振るのはないかな

 

とはいえ もう今日は11日 こんなに4月は過ぎて もうGWに突入前だし

 

人生って毎日の積み重ねで それこそ 思い出や思考 環境 自分の能力や知識など 全てがそうなんだけど 時の前に人の能力その他のものなのどたいしたものではない。無力に近いな と思うこのごろ

蜃気楼

他人の病んでいるSNSを見ると この人間は 自分がそう願い描いてる妄想を蜃気楼だとわからず 延々と再生をしているんだと思う。

しかし、本人もそれは認識していても、その再生をやめることができない。

それがなぜかわからないが 人間の思考の痕跡が思考に一度しみつくとその経路をどうしても辿ってしまうものだと思う。

 

私は 生まれてこなければよかった とか

生きていても意味がないとか まあ色々あるが

 

そして それを強化するように 他人は罵倒しこきおろすが、

自分の描いている思考のイメージ 認識は 妄想であり 蜃気楼

 

ただ それが強固であれば あるほど そのビジュアルであり願いは なぜか実現するという事実を みんな考えてないから 余計なことを考えるんだろな。

 

実現しないのは 行動がたりなかったり 現実とイメージを近づけるような計画ができていないなどいろいろだけど

破滅的なイメージは落ちればいいだけだから 簡単に叶うというか そんな感じ

白鳥

きらびやかな仕事に見えても そのほとんどが 白鳥のような存在で

水面下ではバタバタ足をかいている。

優雅にみえても ほんとは それどころじゃない。

 

いろんな職業の人の 実は的なを話を聞いてそう思った。

この人うらやましい と心底思える人は実はなかなかいない。

 

数十人くらいの中小ではそれなりの規模の会社にとある事情で訪問した時 写真がみつけた。

社員と仲よさそうに温泉に入る前社長だった。

つい数日前 亡くなったらしい。 会社は閉鎖予定。

幸せそうな景色はいきなり 暗転することもある。

 

二日程 これからやろうとしている仕事をしている人と話をする機会があった。

わかっていたつもりでも その世界で50年近く生きている人間の発言には重みがある。

それで計画を修正せざるえなくなった。

 

きらびやかな 派手な世界も 地獄ととなりあわせ、

20代30代40代で この世の春を謳歌し、この世に敵無し的な池池ぶりの人達は ほぼおかしくなったらしい。数百数 から千 二千近い関係者で 成功者として 生き残った人間は  ほぼいないらしい。

 

時代もありますからね と 軽く返したが 時代のせいにしてはいけないとたしなめられた。

 

そりゃそうだ。彼よりも何世代も若い連中で うまくやっている人間もいるのだから

 

うまくまとまらないが 夢のような仕事スタイルを維持するって そうとう大変で

その為の犠牲を考えたら

どの仕事人も 白鳥のようなものだと思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

市場

自分だけが見えいる市場というのがある。

勿論 同様にその市場を見てる人は多いのだが それまでの経験がその市場を注視してきただけ で ない 限り似たような視点にはなりづらい。

 

その他どのような情報を知っているか なぞっているかだけでも 違う。

 

認識は 人により 大幅に異なる。

 

 

フリーや自営と リーマンとの決定的な違いはこのあたりかもしれない。

組織を通じて 市場に接するだけでも 違うし、

営業など売り上げに関する仕事で無い限り 市場のことなど想定しない。

 

見ているものがまったく違う。

 

リーマンが 独立して 景色が違うように見えるのは この箇所もけっこーあると思う。 組織から見た景色は 比較的 ここちよいからね。

フリーランスからみた景色は自由にあふれているけど、目の前の認識が正式が正しいかどうかさえわからないし 誰も教えてくれないし 教えてもらっても それは間違いだったりすることが多々 だいたいスルーされるし 

グレー

過去を振り返ることで 今の立ち位置をはじめて認識できる。

 

 

20代の頃 付き合っていた人々の一部をネットで見ることがある。

 

それなりの世間的な立場を手にいれている   が

よくよく見てみると黒に近いグレーだ。

逮捕され 地に落ちていないだけで 2chでは名前があがり 悪徳とか詐欺師というような 文字が並ぶ

2chですれがたち10ページ以上いくのが数人いるので どんだけだよ

金だけおいかけ 法律すれすれでも アウトでなければ関係ねーみたいな 考え方だと いつか 書き込みをされ 大きな利益をどこかで逃している。

金だけでビジネスを見ているとそういうことになる。

ビジネスで得られるものは金だけではないのだよ。

金は結果論で 金儲けが常に先行していれば利益の桁が一桁二桁 それ以上さがることになるのがわからないからそうしている。

それで利益をだし、順調であればあるほど  こまかいのは関係ねーって そんなこと考えることすらできない。説明しても 理想論としか理解できないだろう。

 

 

その業界でその方向であれから続けていまだに学習していなにのかよ こいつらはと思うけれども それがなぜ根本的にアウトか 最近まで理解できなかった自分も同じようなものだ。

 

たぶん、やったかやらなかったの違い。大々的にやったかどうか 名前があがったかどうかの差くらいだ。

 

とはいえ ネットには履歴を残さず、特に表にでても 後ろ指をさされない状態でいることは 幸いともいえるなあ とつくづく思う。

 

時代はさらに変化する。市場は変形し 既存の市場は急速に萎んでおり 新しい市場へ統合されていくが 多くの人は なんとなくしか感じることができないとは思う。

不景気だね 売れないね うまくいかないね 程度の感覚だろうね。

 

 

 

 

 

 

 

目標

今までを振り返り 思い返す時が今朝あった。

人生なぜか 目標の為に 生き 過ぎた。

大半が仕事だ。

そしてその仕事の成功はたまにあったが一瞬の出来事で その感覚を共感できる人はほぼ少ない。

仮にパートナーがいたとして よほど一緒にしていなければ それは傍観者としての共感にしか過ぎない。

 

そして仕事の目標はまるで蜃気楼のように進めば進むだけ 遠くなり そして姿形をかえる。

 

目標を達成しなければ ならない 的な それまでは 我慢的な 生き方は どうも 違うなと 思いつつある。

 

仕事が終わらないと なんて 毎日やっていると いつ人生を楽しむのか?

いい思い出ができる?

思い出にひたるのであれば 誰かの成功を動画で見ているのとさほどかわりない。

なので 仕事仕事って 毎日しゃかりきになるのは 間違いだったと 今更ながら思う。たぶん今成功していても どんぞこでも同じ感想になると思う。

 

なぜなら時を失っているのは おんなじだからね。

 

可能性

可能性は無限大とかいうが 

現実には24時間と 個々の体力があるから どうしてもそれに制約される。

これが個人の限界

可能性はまだあると思い 1人でムリしてきたけど 1人でやる分には 可能性は限定される。

 

意識を高める為に この言葉はよく使われるが 加齢ということもあり 20台や10台のような 無限感はまったく無い。

 

そもそもそこで 感じる無限感は 妄想だから

時間が限られていることが理解しきれないから 無限を感じてしまう。

 

物理空間で物理作業をこなすということは有限であり

この現実の物理空間で どこまで可能性を広げることができるか  ということだと思う。

考えてみれば当たり前のことであえて書くようなことかどうかさえ疑問だけど

 

本を読むのが好きだけど 読める本の量は限界があるから それと それをどこまで読み込めるか を考えると それを 本の量だけみて 多読することは 内容を軽くなぞる程度にしかすぎない。

多読は正直 あまり意味がないとさえ思える。

なぜなら 大半が見つける作業になってしまうから

だから ここぞときめて その関連を読み込むことのほうが 1万冊ざっとよむよりも価値があるとさえ思う。

 

とにかく可能性は有限だ。

その年齢は1年しかなく 繰越ができない。

 

15歳から20歳まの1年1年の 5年が大きいように 

大人になってからもおんなじなんだけど 認識しづらくなるから それがわかりづらい。だからこそ あっという間だったと皆いう。

でも 意識すれば 時間は長くなる